【第7回】4段構成のストーリーを作成する

UVPの構文が完成したら、9マス自分史の箱の「栄光と挫折」「教訓」といった過去のエピソードの中からUVPに合う一点を切り出して4段構成のストーリーを作成していく必要があります。
なぜ、ストーリーで語る必要があるのか?
それは、ストーリーとして語ることこそが、小さな通販会社が顧客を大きく巻き込める唯一の方法だからです。
30年以上経った今でも、顧客心理を学ぶ上での良著とされ、マーケティングに広く活用されている『影響力の武器』(誠信書房)の著者ロバート・B・チャルディーニ氏の最新作『Pre-Suasion』(日本語版未発表)によると、人は次の順番で影響されていくそうです。
1)エビデンス(実証結果) | 「Amazonランキング医薬品カテゴリー第1位」や「1000人中998人が効果があった」「当店薬剤師おすすめNo1」など第三者による実証結果。 |
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2)パワー(権威) | 「○○博士推奨」「厚生労働省認定」または、「トヨタ」「資生堂」など、社会的信用力の大きな人や会社、国のネームバリュー。または「社長の鶴の一声」も役職というネームバリューによるパワーの一つです。 |
3)ストーリー | 会社の創業ストーリーや経営者や創業者の情熱や想い、行動など。 |
4)文化(世界) | 人類が創り上げてきた歴史。 |

前の手順まででUVPの構文は出来上がっているため、今度はそれを自身のストーリーとしてどのようにシンクロさせて語って行けばよいか、その方法論とやり方について詳しく解説していきます。
Contents
共感を呼ぶストーリーの法則とは?












1 | ピンチな状態 |
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2 | 新しい目標と新しいビジョン |
3 | 共通の敵 vs 新しい敵 |
4 | 必殺のキャッチフレーズ |




9マス自分史の箱を活用したストーリーの創り方






栄光 | ・会社で敢闘賞を授賞 ・結婚式の余興で動画作成と瓦割りの企画を行い大ウケする ・同期の送別会で動画作成を行い、同期を泣かす |
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挫折 | ・会社での自分の存在に違和感を覚える ・投資に手を出して借金を始めて抱える ・上司がフランス人になり英語でのコミュニケーションに心が折れる |
教訓 | ・何事も最後までやりきる! ・完全燃焼する! |



1 | ピンチな状態 |
---|---|
2 | 新しい目標と新しいビジョン |
3 | 共通の敵 vs 新しい敵 |
4 | 必殺のキャッチフレーズ |
ピンチな状態






僕は大学の機械工学科を出て、そのまま某商用車メーカーに就職しました。仕事としては自動車の外装部品の開発や設計を担当しており、優しい同期や先輩、上司に恵まれて、アフター5や休みは友人と飲みに行ったり、BBQなどレジャーを楽しんだり、いい社会人生活を送っていました。
しかし、社会人生活も2年がすぎ仕事にも慣れてきたころ仕事への情熱が薄れていっていることに気づきました。入社当初は社内で「敢闘賞」を授賞したり、特許の取得に取り組んだり、積極的に仕事に取り組めて、その頃は残業をさせられても特に何も思いませんでした。仕事がしたくて仕方なかったんです。しかし、だんだんと「えー残業かよーまあ、残業代でるしいっか」と思い「仕事に取り組む」というよりは「仕事をこなす」ようになっている自分がいました。 ちょうどその頃会社が海外の商用車メーカーに買収され、上司がフランス人になりました。その人は32歳という若さでマネージャーという職につきました。聞けば一生懸命勉強し、いい大学に入り、入社後も努力して、日本のものづくりを学びたいと自ら志願してやっと念願の日本への駐在を勝ち取ったのだそうです。 その人は積極的に日本語を勉強したり、最初は全く分からなかったものづくりについても積極的に取り組み、次第に周りからの信頼も得るほどになりました。その頃からです。自分の中に溜まったよくわからない無気力さの正体がつかめず、やがてイライラになり、意味もなくこのフランス人上司に暴言をはいてしまったり、勤務態度も誰よりも遅く出社して誰よりも早く帰るというすさんだものになっていました。当然会社での評価は真っ逆さまに落ちていき、かつて「相川くんは期待の新人だからね」と言われていた時に比べるとひどくやつれた顔をしていたと思います。精神は病み、話せば愚痴ばかり溢れる。しまいには、朝原因不明の腹痛や吐き気、発熱に悩まされることが多くなっていました。 |








新しい目標と新しいビジョン








挫折をして「もうだめかも」と思った時に、いつも僕を励まし「頑張ろう」という活力をくれたのが小説や映画、漫画、アニメーションといったストーリー作品の数々でした。
物語自体に惹かれたというよりは、主人公や登場人物の生き様やセリフに共感して「俺も頑張ろう!」という気持ちになることが多く、そういったストーリー作品に今まですごく助けられてきたんです。 だからこそ、自分も何かストーリー作品のように、生きづらい世界を頑張って生きている人を応援していきたいと思ったんです。 |


共通の敵vs新しい敵














僕は、自分の人生がうまくいかないのは会社や人、環境のせいだと思っていましたが、実は一番の悪は、これまで自分の中途半端な行動を許してきた自分に甘い自分自身だということに気づきました。 |
必殺のキャッチフレーズ







ストーリーの事例1〜あいけんの事例〜


1、ピンチな状態〜挫折〜 | 社会人生活も2年がすぎ仕事にも慣れてきたころ仕事への情熱が薄れていっていることに気づきました。入社当初は社内で「敢闘賞」を授賞したり、積極的に仕事に取り組めて、その頃は残業をさせられても特に何も思いませんでした。仕事がしたくて仕方なかったんです。しかし、だんだんと「えー残業かよーまあ、残業代でるしいっか」と思い「仕事に取り組む」というよりは「仕事をこなす」ようになっている自分がいました。 ちょうどその頃会社が海外の会社に買収され、上司がフランス人になりました。その人は32歳という若さでマネージャーという職につきました。聞けば一生懸命勉強し、いい大学に入り、入社後も努力して、日本のものづくりを学びたいと自ら志願してやっと念願の日本への駐在を勝ち取ったのだそうです。その人は積極的に日本語を勉強したり、最初は全く分からなかったものづくりについても積極的に取り組み、次第に周りからの信頼も得るほどになりました。ちょうどその頃からです。自分の中に溜まったよくわからない無気力さの正体がつかめず、やがてイライラになり、意味もなくこのフランス人上司に暴言をはいてしまったり、勤務態度も誰よりも遅く出社して誰よりも早く帰るというすさんだものになっていました。当然会社での評価は真っ逆さまに落ちていき、かつて「相川くんは期待の新人だからね」と言われていた時に比べるとひどくやつれた顔をしていたと思います。精神は病み、話せば愚痴ばかり溢れる。しまいには、朝原因不明の腹痛や吐き気、発熱に悩まされることが多くなっていました。 |
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2、新しい目標〜ビジョン〜 | 挫折をして「もう社会人としてだめかも」と思った時に、いつも僕を励まし「頑張ろう」という活力をくれたのが小説や映画、漫画、アニメーションといったストーリー作品の数々でした。物語自体に惹かれたというよりは、主人公や登場人物の生き様やセリフに共感して「俺も頑張ろう!」という気持ちになることが多く、そういったストーリー作品に沢山共感し、涙を流したことで再び立ち上がることができました。だからこそ、自分も何かストーリー作品のように、生きづらい世界を頑張って生きている人を応援していきたいと思ったんです。 |
3、共通の敵vs新しい敵〜常識vs世界観≠常識の否定〜 | 僕は、これまで自分の人生がうまくいかないのは会社や人、環境のせいだと思っていました。「頑張っているのに、人生が上手くいかないのはこの会社にいるせいだ」と思っていました。しかし、実は一番の悪は、これまで自分の中途半端な行動を許してきた自分に甘い自分自身だということに気づきました。それに気づけたからこそ今の自分があるのだと思います。 |
4、必殺のキャッチフレーズ〜誰が言うのか〜 | だからこそ、今度は過去の自分のように人生を生きづらいと思っている人が感動し、涙を流し、再び「頑張ろう!」とワクワクするようなロマンを提供する。 |


◉ストーリーの事例2〜松尾農園グループ代表松尾氏〜

はじめまして松尾農園グループの代表の松尾高生です。 私は百姓3代目になります。祖父の時代から始めた百姓ですが、当時はみかんの生産に力を入れておりました。 当時はまだまだみかんは珍しく、見た目重視のピカピカした綺麗なみかんは消費者に受け入れられ高い収入が得られておりました。 しかし、そのみかんを育てる背景には現在では劇薬に指定されるような農薬を大量に使う農法が一般的であり、農薬を散布した日には、頭痛や皮膚のかぶれに悩まされておりました。 その祖父の姿に、父は生産者がこのように体に悪い影響を与える農薬を使ってできた農産物を消費者は食べて健康に影響はないのだろうか? もっと、作る人、食べる人が安心して食べられる農法はないのだろうかという疑問から、有機農法や減農薬農法の取り組みを始め、同じ志をもつ仲間とともに生協さんへの出荷を始めました。 その後、少しずつ有機農法での栽培も軌道にのってきた平成3年。オレンジの輸入自由化が始まりみかんの価格が暴落し始め、みかんの収益の減収をどうにかできないかと考えました。 そこで目をつけたのが、米の収穫後に作付けをおこなっていない田んぼでした。その裏作として、玉ねぎの生産を開始しました。 玉ねぎの生産ができるなら、おなじユリ科の作物であるにんにくも生産できないかとチャレンジが始まりました。 国内の一番の産地である青森から種を取り寄せましたが、気候が合わずに失敗の連続。そして3年の月日をかけてやっと八女の気候にあったにんにくに出会うことができました。 さて、私はというと小さいころは・・・ 我が家は、お小遣い制ではなく、アルバイト制の幼少時代でした。 小学高学年になると、家の仕事を丸1日やったら500円と結構なお金をもらっていました。 (これを、近くの駄菓子屋の当たりクジ入りのガチャポンで一気に使い、一瞬にして一日のアルバイト代がなくなって しまったのが、ギャンブル卒業のいい思い出です^^;) 高校、大学と進学するなかで、実家のアルバイトは続けていました。 雨の日は、父は事務所で書物をしておりましたが、ふらっと遊びにきた地域の方が、新しい商品についてのアドバイスを求められいろんな話をして、ワクワク元気な姿で帰られる様子を見ていると、父の仕事もなんだか面白そうと思っていました。 大学卒業後、食品関係やコンサル業務を行う会社の就職活動するなか、テレマーケティング会社へ就職入社4年目が入るころ、父より家の仕事を継いでみないかとアプローチを受けて平成17年に家業に就職小さいころからパソコンが好きだったので、社内のシステム化やコスト削減に取り組みました。 平成20年には私に大まかな事業の運用をまかせて、大好きだった畑作業の生産拡大にと意欲的に活動していきました。 ある程度順調に事業が進んでいたなか、父はくも膜下により急に戻らぬ人になってしまいました。 私が家業に入り4年目のことでした。 事業所のスタッフ、父の代からの生産者、お取引先等多くの方からたくさん支えてもらい、なんとか今日まで事業を続けて来ることが出来ました。 これまで受けたご縁をお返しをし、なにより先代まで続けてきた取り組みを後世まで続けていけるために平成23年に「株式会社 松尾農園グループ」と法人化を行い、翌年24年に農生産法人の認可を頂きました。 会社のテーマは「百姓は地球を救う」 後世の代まで常に夢を追い続ける大きなテーマを設定させていただきスタッフ一丸となり、生産、加工、販売を通じて、地域の活性化、海外の活性化を進めています。 父が手がけたにんにく生産を更に確立させるため、平成24年6月に農水省より『にんにくの機能性を生かした加工品の新規開発と自社生産・販売拡大事業』をテーマに六次化産業取組への認定を頂き、福岡県、更に、九州を一つとしてのにんにく生産による地域活性化を目指し、『九州にんにく生産振興協会』の設立を進めております。 |





まとめ
